鉄馬さんの話
僕の実家の仏壇の上に、昔からよくわからない写真があった。
ひいおじいさんとひいおばあさんの写真の隣。
晴れた日に撮られた写真だろうか、まぶしそうな軍服を着たわかいひとの写真だ。
あんまり興味もなかったし、子供の時からきいてみようとも思わなかった。
お盆に実家に帰れば、いつもその写真はあった。
二十歳を過ぎた頃の夏休みに、祖母にこの人は誰なのか、初めて訊ねてみたのだった。
「この人は、鉄馬さん、言うてな。それは勇敢な人じゃったんよ」
祖母は、話はじめた。
鉄馬さんは祖父の弟で、
子供の頃に、山向こうの遠くの家にもらわれていった人だった。
養子として家を出たらしい。
その頃の事情は全くわからない。
そこの家の名前もわからないと言うのだから、奇妙な話だ。
誰も覚えていないんだそうだ。
ある日、家を出てしばらく経ってからうちにたずねてきて、履ける靴は無いかと聞きにきたらしい。
なんでもいいから、靴をくれないかと、頼みに来たそうだ。
もらわれていった先で、苦労していたらしい。
祖父は、履き古した靴をあげた。
鉄馬さんは、そのあと中国の戦争にかりだされていった。
祖母は「鉄馬さんは、敵の陣地に突っ込んで行って、敵の陣地の機銃をぶんどった。そして、腹に銃弾を受けて、戦死なすったんよ。」と興奮気味に語った。
その言葉から、いかに鉄馬さんが勇ましく死んだのかを話す男の様子が浮かんだ。
嫌な気がした。
鉄馬さんのことは、靴をもらいに来たことと中国で戦死したことしか知らない。
眠たそうな夏の遺影を見ていると、「鉄馬」などという勇ましい名前が、余計に悲しく思えてきた。
人なんか殺したくなかったと思うのだ。
鉄馬さんのことは、靴をもらいに来たことと中国で戦死したことしか知らない。
眠たそうな夏の遺影を見ていると、「鉄馬」などという勇ましい名前が、余計に悲しく思えてきた。
人なんか殺したくなかったと思うのだ。
たまたま勇ましい名前をつけられて、期待されるからそんな風に振る舞って死んでしまったのだろう。
どういうわけだか、鉄馬さんの墓はどこにも無いらしい。
うちに遺影が一枚きりあっただけというのも、事情がわからない。
もらわれた先でも大事にされず、戦争に行って死んでも大切にされず。
文章にして数行の言葉だけで、たったひとり、僕に覚えられている人。
鉄馬さんの話を聞いたのはあの時、僕ひとりだった。
僕の両親だって聞いたこともなかったらしい。
祖母はとうの昔に亡くなっているし、鉄馬さんの事を覚えているのは、僕ひとりかもしれない。
それも30年近い前の話なのだ。
僕が忘れたら、鉄馬さんはいなかったことになる。
東京の空襲の話を聞いてからか、どうしても書いておきたかった。
どういうわけだか、鉄馬さんの墓はどこにも無いらしい。
うちに遺影が一枚きりあっただけというのも、事情がわからない。
もらわれた先でも大事にされず、戦争に行って死んでも大切にされず。
文章にして数行の言葉だけで、たったひとり、僕に覚えられている人。
鉄馬さんの話を聞いたのはあの時、僕ひとりだった。
僕の両親だって聞いたこともなかったらしい。
祖母はとうの昔に亡くなっているし、鉄馬さんの事を覚えているのは、僕ひとりかもしれない。
それも30年近い前の話なのだ。
僕が忘れたら、鉄馬さんはいなかったことになる。
東京の空襲の話を聞いてからか、どうしても書いておきたかった。
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